館長の美術館ザッピング99 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室」の見どころ①(11月3日まで) ◎胡粉(ごふん)の役割 ~画家たちの白の生かし方~ 横山大観の「飛泉(ひせん)」と菱田春草の「秋渓(しゅうけい)」は、対幅(ついふく)。二人は日本美術院の研究会で、毎月課題画を描いていたので、「秋の渓谷」というだけで、自然に雰囲気がそろってしまうのはさすがである。大観は滝の「動」の水、春草は川面の鏡のような「静」の水が造形上のテーマだ。 春草の「砧(きぬた)」は、遠出した夫を思いながら、妻が砧という道具で、着物のしわを伸ばしている様子。秋の月が照らす草深い庭で、たたく音だけが響くといううら寂しい画題。 木村武山の「菊 九月」は、白菊の花群の上をトンボが舞う。たぶん最後に描き加えた数本のすすきの葉が、構図にリズムを与えている。同じく「鷺図(さぎず)」は、葛(くず)の紅葉が絡まる枝で、風に羽をなびかせるシラサギの様子。この鷺の白と紅葉の対比は見事と感じながら、これまでの作品を見直すと、画家たちの胡粉(ごふん)の使い方がクローズアップされて面白い。 大観は
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館長の美術館ザッピング99 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室」の見どころ①(11月3日まで) ◎胡粉(ごふん)の役割 ~画家たちの白の生かし方~ 横山大観の「飛泉(ひせん)」と菱田春草の「秋渓(しゅうけい)」は、対幅(ついふく)。二人は日本美術院の研究会で、毎月課題画を描いていたので、「秋の渓谷」というだけで、自然に雰囲気がそろってしまうのはさすがである。大観は滝の「動」の水、春草は川面の鏡のような「静」の水が造形上のテーマだ。 春草の「砧(きぬた)」は、遠出した夫を思いながら、妻が砧という道具で、着物のしわを伸ばしている様子。秋の月が照らす草深い庭で、たたく音だけが響くといううら寂しい画題。 木村武山の「菊 九月」は、白菊の花群の上をトンボが舞う。たぶん最後に描き加えた数本のすすきの葉が、構図にリズムを与えている。同じく「鷺図(さぎず)」は、葛(くず)の紅葉が絡まる枝で、風に羽をなびかせるシラサギの様子。この鷺の白と紅葉の対比は見事と感じながら、これまでの作品を見直すと、画家たちの胡粉(ごふん)の使い方がクローズアップされて面白い。 大観は
視聴回数: 123 回11 か月前
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館長の美術館ザッピング87 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室の見どころ」 ◎岡倉天心《浮世絵概説(うきよえがいせつ)》 開催中の浮世絵展に合わせて、岡倉天心記念室では、天心直筆の浮世絵論を展示している。天心と一緒に東京美術学校を準備したフェノロサは、浮世絵に興味を示さなかったが、明治時代に来日していたビゲローは2万点に及ぶ浮世絵を収集していた。 天心は、ボストン美術館でそのコレクションを整理しながらこの原稿をまとめた。 「浮世絵は徳川時代に於ける平民社会の審美観を現わしたるものなり」 この定義に続く三つの特質を読むと、当たり前のようで実に深いことに驚く。 1 西洋の風俗画とは違う。 2 日本の絵巻物とも違う。 3 風俗はもちろん、歴史人物や風景も描いている。 そして、多数の公衆と接するための版画技術の重要性、人々の「気象」の変化が浮世絵の歴史であることを指摘して、初期、中期、後期に分けてその推移を分析している。 今回の浮世絵展には、後期の作品が並んでいる。天心は後期の浮世絵の特質を「国芳のように中期の模倣に過ぎない」として、衰退期だと規定する
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館長の美術館ザッピング87 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室の見どころ」 ◎岡倉天心《浮世絵概説(うきよえがいせつ)》 開催中の浮世絵展に合わせて、岡倉天心記念室では、天心直筆の浮世絵論を展示している。天心と一緒に東京美術学校を準備したフェノロサは、浮世絵に興味を示さなかったが、明治時代に来日していたビゲローは2万点に及ぶ浮世絵を収集していた。 天心は、ボストン美術館でそのコレクションを整理しながらこの原稿をまとめた。 「浮世絵は徳川時代に於ける平民社会の審美観を現わしたるものなり」 この定義に続く三つの特質を読むと、当たり前のようで実に深いことに驚く。 1 西洋の風俗画とは違う。 2 日本の絵巻物とも違う。 3 風俗はもちろん、歴史人物や風景も描いている。 そして、多数の公衆と接するための版画技術の重要性、人々の「気象」の変化が浮世絵の歴史であることを指摘して、初期、中期、後期に分けてその推移を分析している。 今回の浮世絵展には、後期の作品が並んでいる。天心は後期の浮世絵の特質を「国芳のように中期の模倣に過ぎない」として、衰退期だと規定する
視聴回数: 117 回2025年5月10日
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館長の美術館ザッピング 37 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 岡倉天心記念室(1月8日まで)の見どころ③ ◎物語と美術② 武山《小楠公》《曽我兄弟》《菅公大宰府配處之図》 前回触れた大観、春草と同様、武山の作品でも、主人公の悲劇的場面が強調されている。 しかも三点並んでいるので物語の内容よりも、武山がどう描こうとしていたのか、という画面作りの方法論が見えてくる。 武山は、演劇の舞台のように作っている。大観、春草が、登場人物をクローズアップやロングショットにして映画的なのと対照的だ。武山を舞台監督として画面を見ると、《小楠公》の衣装の豪華さが納得できる。おそらく南北朝時代の武家の衣装について時代考証もしたと思う。描写に正確を期する、真面目な観山の助手を務めた経験が妥協を許さなかったのだろう。しかし、役者が衣装に負けてしまったというのが私の感想。 《曽我兄弟》では、模様が目立たない衣装を着せて、主人公への感情移入を図ろうとしている。「雁にさえ親がいるのに、なぜ私たちには…」と嘆く曽我兄弟…のはずだが、雁が見えないので、物語を知らない観客には意味が通らない。雁の群
視聴回数: 62 回2023年12月9日
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館長の美術館ザッピング 60 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 岡倉天心記念室(7月28日まで)の見どころ ◎大観の五浦への思い:新収蔵書簡から 大正時代の大津町町長永山冨士太郎へ宛てた、横山大観の手紙が展示されている。鮑がたくさん届いたお礼にはじまり、日本美術院の五浦遠足のことを連絡する内容である。今年度、ご遺族から寄贈されて展示することができた。 大正14年(1925)9月12日、大観は日本美術院の画家50名以上を引き連れて「五浦遠足会」を実施した。この手紙で大観は「美術院研究生修学旅行」と呼んでいる。 手紙で注目すべきなのは、「修学旅行」が日本美術院の公式行事ではなく、「小生が単独に美術院前身の発祥地」を画家たちに見せたい思いから実施するのだと明言していることだ。若い画家たちに、日本美術院の五浦時代を伝えておきたい大観の思いの深さがうかがえる。 日本美術院展が無事開会し、制作のプレッシャーから解放された画家たちが、夏の終わりを楽しんでいる様子が写真に残されている。歓迎会など「絶対に御辞退」と手紙に書いた大観の配慮が功を奏したのだろう。 大正12年には関東
視聴回数: 64 回2024年7月19日
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館長の美術館ザッピング71 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 岡倉天心記念室の見どころ②(12月15日まで) ◎複製画で見る1904年の岡倉天心② これらの作品は、サースビー・コレクションとして知られていた。歌手のエマとその妹のアイナは、旅行で立ち寄った日本で天心に日本美術を学び、その後インドでも、五浦でも一緒に過ごした。天心・大観・春草らの渡米時には、ニューヨークの邸宅ビルの最上階を、彼らのアトリエに提供を申し出るなど、前回述べたオリ・ブル夫人と共に一行をバックアップしていた。 1904年の4月に開催した大観・春草展は、彼女たちのおかげもあって大成功に終わり、経営危機の日本美術院へ仕送りさえできた。11月のオリ・ブル邸での展覧会では彼女たちを始め、ガードナー夫人などもティー・サービスのボランティアをした。天心の絵画が展示されたかどうかは確認できないが、作品で彼女たちの思いに応えようとしたのではないだろうか。 複製画は、現物よりも少し小ぶりのため6点を一度に並べることができて、制作の順番を推理したくなる。最初は、中国の文人画風の《山水の図》。この絵の線は少し自
視聴回数: 22 回2024年11月1日
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館長の美術館ザッピング 62 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 岡倉天心記念室(10月14日まで)の見どころ① ◎大観《水國之夜》:中国旅行の成果 日本の画家にとって中国は、二千年以上、お手本を提供してくれる先生であった。それが明治になって、もう一人の西洋という先生が登場して、生徒たちはどちらを選ぶか自分の頭で考えざるを得なくなった。横山大観も、最初は洋画家に習っていたし、英語学校にも通っていた。初期日本美術院時代に初めて旅行した外国は、中国を飛び越えてインドだった。大観が中国に行けたのは、明治43年6月の42歳のときであった。 一か月にわたる中国旅行の成果は、その後続々と発表されていく。大観はすでに画家として一家を成していたので、画風に影響を受けたわけではない。それは47歳で憧れの中国に留学した雪舟が、「学ぶべき先生がいなかったので、自然を師とした」と書き残したのに似ている。 大観は、自然というよりも人々の暮らしぶりに興味を抱いたようだ。舟から汽車へと移動手段が更新されていく近代日本と違って、まだまだ水上交通が中心だった20世紀初頭の蘇州の様子が描き出されて
視聴回数: 48 回2024年8月14日
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館長の美術館ザッピング77 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室」展の見どころ①(3月16日まで) ◎下村観山《日の出/雪梅》 観山が五浦で描いたと思われる対幅。 海辺の若松と雪の積もる梅の枝という画題は、普通は新年に床の間を飾る吉祥のモチーフだろう。しかし、本作は何か独特の雰囲気に満ちている。 「日の出」は、よくある日の出図とは違い、朝日は金のみで赤を使わず、しかも半分近くを霞の陰に隠している。そのため目立つのは、浜辺に打ち寄せる波頭とその先の浜辺に生えた小さな松の若木。 一方の「雪梅」は、幹こそ太い存在感だが、肝心の梅の花はまだ膨らみ始めたばかり。雪が降った直後のような曇り空は、積もった雪とあいまって寒々しさを増している。 制作年は、明治41年頃と推定されている。しかし筆者は、まだ残っている朦朧体の雰囲気から、明治40年の冬ではないかと思う。前年の11月、観山ら四人の画家たちは一家そろって五浦に移ってきた。初めての北茨城での冬は、和歌山生まれの観山にとっては厳しく感じられただろう。「雪梅」にはその感覚が素直に出ているのではないか。 わずかなふ
視聴回数: 129 回2024年12月25日
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館長の美術館ザッピング79 小泉晋弥館長が、美術館を歩き回って気づいたことを綴ります。 「岡倉天心記念室」の見どころ②(3月16日まで) ◎横山大観《海暾》 「海暾」とは、海の日の出のこと。 大観は、五浦の海に面した崖の上に家を建てて、明治39年の11月末から住み始めた。現在その場所に立っている見晴らしの良いホテルに泊まると、海から昇る朝日が目覚まし代わりになる。大観はほぼ毎日体験していたこの眺めを絵にした。 その後何度も描かれた大観の「海暾」の中で、五浦時代のこの作品が、最もみずみずしさを感じさせる。 水平線から顔を出した朝日によって、夜明け前の暗みが急速に海と空に分割される。正面にある太陽の光を浴びて海は青色が深まっていき、眼下の磯浜の浅瀬では、波が白い泡となって吸い込まれていく。空は、天頂あたりでは夜の名残を感じさせながら、オレンジ色の雲の奥で、宇宙まで抜けるような広大さを増していく。夜から明け方の劇的な変化に、大観も心を動かされたのだと思う。 上半分の空は朦朧体で培った質感のない色の塗り方。海は群青の重みのある塗り重ねで盛り上がるように迫る。足元の砂浜と岩は物質感を前面に出して
視聴回数: 123 回2025年1月18日
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